本記事は、連載「AIの歴史」(全11回)の最終回です。
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17世紀、ライプニッツは「論争が起きたら、計算しよう」と書きました。それから370年近くを経て、いま多くの人が、日常のちょっとした疑問をChatGPTに投げかけています。この間に何が起き、何が繰り返され、何がいまも解けないままなのか。全10回を振り返りながら、整理してみます。
一つの賭けから、始まった物語
連載第2回で取り上げたダートマス会議の提案書には、こう書かれていました。「学習や知能のあらゆる特徴は、原理的には極めて精密に記述できるので、それをシミュレートする機械をつくることができる」。これは証明された事実ではなく、著者たち自身が認めていたとおり、一つの推測でした。
この連載は、実質的に、この推測がどう試され続けてきたかをたどる旅でした。連載第3回で見たように、この賭け自体は1956年に突然生まれたものではなく、ライプニッツの記号操作の夢、バベッジとラブレスがめぐらせた「機械は創造できるか」という問い、マカロック=ピッツの神経モデルという、300年近い助走を経てのものでした。そして連載第1回のチューリングは、この賭けに正面から答える代わりに、外から観察できる振る舞いを基準にするという、慎重な迂回路を選んでいました。
記号主義とコネクショニズム——交互に訪れた季節
この連載を通じて、繰り返し姿を現した対立軸があります。知能を明示的なルールや記号操作として実装しようとする記号主義と、神経細胞を模したネットワークの学習によって実装しようとするコネクショニズムです。
連載第3回のマカロック=ピッツのモデルは、この両方の共通の祖先でした。連載第2回のダートマス会議は、記号主義を旗印に掲げましたが、その同じ時期、連載第4回のローゼンブラットは、会議に加わることなく、パーセプトロンという学習する機械をつくっていました。
連載第5回で見た最初のAIの冬は、コネクショニズムに特に厳しい打撃を与えました。生き延びた記号主義は、連載第6回で、エキスパートシステムという初めての商業的成功を手にし、そして自らの限界にも突き当たります。興味深いのは、この記号主義の絶頂と崩壊が起きていたのと、ほぼ同じ時期に、連載第7回で見た誤差逆伝播が、コネクショニズムに静かな復権をもたらしていたことです。二つの潮流は、まるで互いを避けるように、異なるタイミングで浮き沈みを繰り返してきました。連載第8回・第9回で見た深層学習とTransformerの時代に至って、ようやくコネクショニズムが優勢な局面を迎えますが、それも、記号主義が完全に否定されたことを意味するわけではありません。
なお、「AIの冬」という言葉自体、1984年、最初の冬を経験したマービン・ミンスキーとロジャー・シャンクが、当時過熱していたエキスパートシステムのブームに対して、二度目の冬が来ると警告した席で生まれたとされています。批判者だったミンスキーが、15年後には、次の冬を予言する側に回っていたことになります。
同じ構造が、姿を変えて繰り返された
対立軸に加えて、この連載では、いくつかの構造が形を変えながら何度も現れました。
一つは、期待と実力の落差です。連載第4回のパーセプトロンをめぐる報道、連載第6回のエキスパートシステムをめぐる企業や国家の期待は、いずれも、実際に証明された内容をはるかに超えて膨らみ、そして縮みました。
もう一つは、名づけることの力です。連載第2回で「人工知能」という言葉が、既存の「サイバネティクス」を避けて選ばれたこと、連載第9回で「基盤モデル」という言葉が2021年に新たに提唱されたことは、いずれも、名前を与える行為が、その後の研究や資金の向かう先を左右した例でした。
もう一つは、単独の発明ではなく、複数の要素が偶然そろうことで起きる飛躍です。連載第8回のAlexNetは、データ・計算資源・訓練上の工夫という三つの流れが重なった結果でした。連載第10回のChatGPTも、モデルの能力・対話インターフェース・RLHFによる調整という要素がそろって、初めて社会に広がりました。
そして最後に、技術的な能力と、実際に使われることの間にある距離です。連載第3回のバベッジの解析機関は、設計から100年以上、実際に組み立てられませんでした。連載第6回のMYCINは、専門医に劣らない評価を得ながら、臨床現場では使われませんでした。連載第10回のGPT-3も、対話という間口が開かれるまでは、限られた技術者だけの道具にとどまっていました。
何が受け継がれ、何がまだ答えの出ていない問いなのか
連載第1回でチューリングが立てた問い——振る舞いが人間と見分けがつかないことと、実際に理解していることは同じなのか——は、この連載を通じて、一度も解決されていません。むしろ連載第10回で見たように、この問いに実際に触れる人の数が、数億人という規模に広がっただけです。
ダートマス会議の「知能は原理的に精密に記述できる」という推測も、いまだに証明されていません。深層学習やTransformerが示した成果は、この推測を後押しする材料にはなりましたが、証明そのものではありません。
70年近く前に立てられた問いが、いまも同じ形のまま残っている。この連載が最終的にたどり着いたのは、そうした事実でした。
過去を鏡に、自分の仕事を読み返す
この連載を書きながら、筆者自身、意外なことに気づかされました。毎回、専門としているサイバーセキュリティやテクノロジー規制の実務に、AIの歴史のどこかが重なって見えてきたのです。振る舞いを基準に評価するという発想、名づけることが持つ制度的な力、狭い技術的発見と広い対応判断の距離、ルールの保守という終わりのない作業、提案が通るタイミング、複数の弱点が重なって初めて事故が起きるという構造、一つの基盤に依存することのリスク、そして対話という間口が技術を人に開くという経験。
これは、AIの歴史が特別だからではないのだろうと思います。技術の歴史は、人間がどう判断し、どう制度をつくり、どうリスクと付き合ってきたかの歴史でもあります。だからこそ、専門分野の違う人がAIの歴史を読むとき、それぞれの持ち場から、それぞれに違う何かを見出せるのだと思います。「知性の来歴」を始めた理由も、突き詰めれば、ここにあります。技術だけを見ていては見えないものが、技術と、それを取り巻く人間や制度を重ねて見たときに、初めて見えてくるということです。
このメディアが次に向かうところ
「AIの歴史」というシリーズは、ひとまずここで区切りとします。ライプニッツからChatGPTまでの流れを追うことで、このメディアが今後扱っていく話題の土台は、一通り整ったと考えています。
これから先は、この土台の上に、いくつかの方向で記事を重ねていきます。誤差逆伝播やTransformerで簡単に触れた仕組みを、より丁寧に解説する「AIの原理」。チューリングやダートマス会議で名前だけ触れた人物を、あらためて掘り下げる「人物と思想」。そして、いま生まれている出来事を、これまでたどってきた歴史の延長として位置づける「AIの現在地」。
速報より背景を。断片より文脈を。流行より、長く残る理解を。この連載でたどってきた態度を、これからも変わらず続けていきます。
