本記事は、連載「AIの歴史」(全11回)の第4回です。

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前回は、1943年にマカロックとピッツが発表した、神経細胞を論理素子として捉えるモデルを取り上げました。このモデルは、あらかじめ決められた配線に従って論理演算を行うだけで、自ら学習することはありません。

その15年後、心理学者フランク・ローゼンブラットが、学習する機械を発表します。パーセプトロンです。

「学習する機械」の登場

ローゼンブラットは、コーネル航空研究所(Cornell Aeronautical Laboratory)に所属する研究心理学者でした。1958年、学術誌『Psychological Review』に「パーセプトロン:脳における情報の貯蔵と組織化のための確率モデル」という論文を発表します。

マカロック=ピッツのモデルとの決定的な違いは、重みを調整する学習規則を持っていたことです。パーセプトロンは、入力層(感覚に相当するS層)、連合層(A層)、応答層(R層)から構成され、入力に対する出力が誤っていれば、その誤差に応じて各接続の重みを少しずつ調整します。これを繰り返すことで、機械は与えられた例から徐々に「正しい」分類ができるようになっていきます。単発の論理演算ではなく、経験の蓄積によって振る舞いが変わっていく仕組みが、初めて具体的な形で示されたのです。

収束定理という数学的な裏付け

パーセプトロンの学習規則には、確かな数学的裏付けがありました。「収束定理」と呼ばれるもので、訓練データが「線形分離可能」(平面や超平面で二つのグループにきれいに分けられる)であれば、この学習規則を繰り返し適用することで、有限回の手順のうちに必ず正しい重みにたどり着く、というものです。

これは誇張でも比喩でもなく、証明された数学的な結果でした。パーセプトロンが単なる思いつきではなく、理論的な裏付けを持つ仕組みだったことは、まず押さえておく必要があります。

Mark Iパーセプトロンと、報道の熱狂

1958年7月、アメリカ海軍研究局(ONR)は記者会見を開き、IBM 704(当時、部屋を埋め尽くすほどの大きさがあった計算機)を使ったパーセプトロンのソフトウェアシミュレーションを公開しました。パンチカードで与えられた図形を、50回程度の試行で左右に正しく分類できるようになる様子が示されたといいます。

ニューヨーク・タイムズはこれを「NEW NAVY DEVICE LEARNS BY DOING(海軍の新装置、実践によって学ぶ)」という見出しで報じました。ローゼンブラット自身も、この機械を「独自のアイデアを持つことができる初めての機械」と表現しています。ザ・ニューヨーカー誌にいたっては、「人間の脳にとって初めての本格的なライバル」とまで書きました。

その後、1960年には、実際に光を検知する400個の受光素子(20×20の格子状に配置され、簡易的な「網膜」として機能しました)と、重みの調整をモーターで駆動する可変抵抗器によって行う、物理的なMark Iパーセプトロンがコーネル大学で完成します。

どこまでが数学で、どこからが期待だったのか

ここで立ち止まって整理する必要があります。数学的に保証されていたのは、あくまで「線形分離可能な、単純な分類問題において、学習規則が正しい重みに収束する」ということだけでした。

一方、報道や関係者の発言が示唆していたのは、「歩き、話し、自分自身を複製し、自分の存在を意識する機械が近い将来に実現する」という、はるかに大きな期待でした。実際にそう報じられた記事もあります。この間には、大きな距離がありました。パーセプトロンが実際に示してみせたのは、あくまで単純な図形の分類にとどまっていたのです。

静かな限界は、もうそこにあった

前回取り上げたマカロック=ピッツのモデルが、論理主義と神経回路網モデルという二つの潮流の共通の起点になっていたことに触れました。パーセプトロンは、その神経回路網モデルの側が初めて「学習」という具体的な成果を示した瞬間です。

興味深いのは、ローゼンブラットが1956年のダートマス会議の参加者に含まれていないことです。「人工知能」という言葉が生まれた場に立ち会っていなくても、ほぼ同じ時期に、まったく異なる道筋から知能の実現を目指す研究が進んでいました。分野が一つの旗のもとにまとまる前から、すでに複数の潮流が並走していたことになります。

そして、パーセプトロンの数学的な限界ー単純な線形分離可能な問題にしか対応できないという制約ーは、この時点ですでに存在していました。それが厳密に指摘され、コネクショニズムの研究に急ブレーキをかけることになるのは、次回取り上げる1969年の出来事です。

分からないままにしていること

1958年の時点で、パーセプトロンが将来どこまでの能力を持ちうるのか、確かなことは誰にも分かっていませんでした。報道された期待の多くは、検証された事実ではなく、当事者や記者の想像に基づくものだったといえます。

数学的に証明されたことと、将来への期待とを、どこで線引きするか。この問いは、パーセプトロンの時代に限った話ではありません。

誇張を見分けるという仕事

筆者は、サイバーセキュリティとテクノロジー規制に関わる仕事をしています。この仕事の一部は、ある技術や製品について「何が実際に検証された事実で、何が売り込みのための誇張なのか」を見極めることです。インシデントの報告書、製品の説明資料、規制当局への申請書類。そこに書かれていることのうち、根拠のある記述と、期待や思惑が混じった記述を、慎重に切り分ける必要があります。

1958年のパーセプトロンをめぐる報道を読むと、いまのAIをめぐる報道と驚くほど似た構造を感じます。「線形分離可能なデータであれば収束する」という、条件付きではあるものの確かな数学的成果と、「人間の脳に匹敵する機械が生まれる」という無条件の期待。この二つを分けて見る視点は、1958年の新聞記事にも、2020年代のAIをめぐる報道にも、同じように必要とされているように思います。

それでは、次回の記事でお会いしましょう。

出典・参考文献